

「よき社会人養成大学」である。勉強はあまり好きではないけれど大学受験勉強は我慢してやって大学へ行きたい、あるいは行かざるを得ない、他に行くところがないという大量の若者を引き受けるのが「よき社会人養成大学」の役割である。その意味では、よき社会人養成大学の存在の重要さは、国家の幸不幸、成熟度とも関わりを持つほどに大きい。そしてその存在に意義あらしめるとするならば、好きでない勉強以外の領域で、彼らの能力を開花させるような場所を提供することである。もっと噛み砕いて言うならば、これまでの大学で定番だった学部学科や学系といった知的領域ではなく、行動の領域における能力に焦点を当て、育てサポートする場所、つまり何らかの技能、資格を得ることのできる場所を提供することである。できればそこで得たものを拠り所として、将来自営できることが望ましい。そんなものは専門学校じゃないかと言われるかもしれない。そのとおり。専門学校に近いかもしれない。
格差が生じてくるのは、熟語の暗記が始まる夏以降です。それまでは単語の暗記や初歩的な文法が中心なので学習量も少なく、同じことの繰り返しによって英語に慣れるという学習が中心になります。そして夏期講習の学習内容はそれまでに学習したことの復習が大半で、少しだけ新しいことを学習します。夏期講習までに学習することは特別に難しくもなく、量も多くありません。講師は授業にメリハリをつけることに苦労するほどです。ですから、夏期講習を受講して個別指導塾の様子をしっかり観察し、そこの個別指導塾に入塾するかどうかを決めたほうが良いのです。中学校入学前の春期講習から個別指導塾に通うことには、デメリットさえあります。春期講習で中学校の教科の学習をしてしまうと、いざ中学校の授業が始まったときに、すでに習っていることですから退屈でしかたなくなります。
[参考サイト]個別指導教室(予備校・塾)/四谷学院
重要だけれど主観的要素が強くて危険だと日本ではタブー視されてきた、とても美しい詩歌、韻文も果敢に出題されている。考えてみれば、国語とはそもそもコミュニケーションの手段である。理系的場面、文系的場面、芸術的場面、体育的場面等々を問わず、言葉が使われるあらゆる場所におけるコミュニケーションの手段である。それなのになぜ日本のセンター試験の現代文は、評論文、文芸文に限定されているのか。出題がなぜ評論オタク、文芸オタクに占拠されているのか。ここで予備校の国語の講師たちは嘆息するのである。「韓国は国語という教科の教育の意味を根っ子から考えている」
読書の効能は、(1)英語を理解する訓練と、(2)実践的な語彙記憶ができることです。(1)読書では、出てくる単語を全部知っていても、英文を理解できないことがままあります。それは、単語と同時に、英語の構文を知っている必要があるからです。しかし、やさしいレベルの本から読書を積み重ねれば、自然と構文もわかるようになっていきます。日本人の多くは、幸い、聞き取りはできなくても、英文は(辞書を引けば)何とか読めます。そういう方は、教材で発信語彙8000語さえ脳にインプットしてしまえば、英語の読書はすらすらできるようになるはずです。まずは、うんとやさしい読み物で英文読書をはじめましょう。内容がわかるようになったら、同じような語彙レベルの本を、スピードをあげながら読みます。話すスピードを追い越すのが最初の目標です。それぐらいのスピードでだいたい読めるようになったら、もう少し難しい読み物に挑戦します。最終的には普通のペーパーバックを読めるようになりましょう。ペーパーバックを、話すスピードよりも速いスピードで読めるようになると、リスニングの聞こえ方が劇的に良くなります。これが最終的な目的地です。ハードルは高いですが、まずは目的地がどこかだけ覚えておいてください。